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  くまもとけん
 熊本県(タウンネット・エリア情報)

住所;熊本県 
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基本情報
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アクセス・地図

阿蘇山
熊本県阿蘇地方に位置する活火山の山であり正式には阿蘇五岳(あそごがく)という。
最近ではアジア方面の国外からの観光客が増えている。
以前は火口まで自家用車で乗り入れることは出来なかったが、最近駐車場が整備され火口まで徒歩1分というところまで自家用車で行く事が可能。
周辺には阿蘇内牧温泉や阿蘇赤水温泉の温泉街が密集しており烏帽子岳周辺には垂玉温泉や地獄温泉などの宿が並び、また近くの南小国町には黒川温泉などのたくさんの温泉が湧出しており国民保養温泉地にも指定されている。
温泉やロープウエイも整備されていて、多くのライダーが訪れるツーリングスポット、草千里では乗馬も行われている他、山麓では複数のキャンプ場も。
熊本城
熊本県熊本市にあった城で別名、銀杏城(ぎんなんじょう)とも言われる。
安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて加藤清正がこれを取り込み、現在のような姿の熊本城を築いた日本三名城の一つとされており「清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる城の作りは石垣の上に御殿、大小天守、五階櫓などが詰め込んだように建てられ、一大名の城としては「日本一」であるとの評価がある。
細川氏の居城となった後もさかんに改築が行われ、明治時代の初めまでは大半の建物が撤去されずに現存していたが、建物や石垣、曲輪の撤去や改変が行われ、戦争で一部の建物を残して天守を含む御殿や櫓など主要な建物を焼失し現在は、宇土櫓や東竹之丸の櫓群が残るほどである。
石垣普請の名手とされる清正が築いた石垣は熊本地震で石垣の一部が崩落し改修された部分があるものの、ほぼ江戸期の改築による変遷の痕跡をとどめ、城跡は特別史跡に指定されている。
昭和時代中期には大小天守と一部の櫓が外観復元され、近年では櫓や御殿などの主要な建物を木構造で復元する事業が行われており現在に至っている。また、サクラの名所としても知られていて「日本さくら名所100選」に選定されている。
白川水源
白川(しらかわ)は、熊本県中北部を流れる一級河川。一級水系白川の本流であり、水源は環境省により名水百選に指定されている。
熊本県阿蘇郡南阿蘇村の旧白水村にある湧水である。
「白川吉見神社」境内から年間を通じて14℃、60t/分トンの水が湧き出ており名水百選に選定された白川の水源の1つであり白川水源付近を流れる河川は、「下の川」で、近辺の白川沿いには他にも多数の湧水があり、
南阿蘇村湧水群として平成の名水百選に選定されていて南阿蘇村は水の郷百選に水の生まれる里として選定されている。
また湧水はパワーストーンの浄化作用で有名であり、パワーストーンの店も点在する。
通潤橋(つうじゅんきょう)
五老ヶ滝川(緑川上流に位置する一支流)の谷に架けられた石組みによる用水の水路橋である形式はアーチ橋となっており、橋の上部には3本の石管が通っていて肥後の石工(匠)の技術レベルの高さを証明する歴史的建築構造物であり、国の重要文化財に指定されている。
なお通潤橋を含む通潤用水は日本を代表する用水のひとつとして農林水産省の疏水百選に選定され、橋と白糸台地一帯の棚田景観は、通潤用水と白糸台地の棚田景観として国の重要文化的景観に選定されている。
橋の中央上部両側に放水口が設置されており、灌漑利用が少ない農閑期には観光客用に時間を区切って20分程度の大規模な放水を行っている。この放水の本来の目的は、石管水路の内部にたまった泥や砂を除くためのものであるが最近では全国から通潤橋の放水風景を見に来る観光客も多い。この場所に石橋が建造されたのは最も谷が狭かったからであるが、200メートル程下流には五老ヶ滝があり原料となる石材が上下流の川底に大量に存在していたことも理由の1つである。江戸時代に造られた石橋としてはアーチの直径ならびに全体の高さは国内最大である。
常時人が渡れるもののあくまで水路のための橋であるため手摺等は一切無いが、これまで転落した人は一人もいないという。
石で作られた導水管の継ぎ目を特殊な漆喰で繋いで漏水しないように密封して橋より高台の白糸台地まで用水を押し上げている。
通潤橋は日本の独自技術で実現した最初の噴水管の橋と考えられており、またこの橋の建設の物語は『肥後の石工』というタイトルで児童向けの本となっており、国語の教科書に取り上げられたこともある
熊本ラーメン
にんにくと豚骨スープに歯ごたえがあるストレート麺。
全国的には「豚骨ラーメン」では博多ラーメン(長浜ラーメン)が知名度が高いが、熊本ラーメンはそれらよりも麺が太くコシが強くスープも太麺に合わせて濃厚である。
具材としては、煮玉子、チャーシュー、メンマ、木耳、刻み小ネギ、モヤシ、海苔等が入り、中には豚肉の角煮、キャベツ、高菜等が入るものもあるが紅生姜や生ニンニクは入らない。
博多ラーメンのような替え玉のシステムはない店がほとんどである。
久留米ラーメンに近く発祥の経緯からも久留米系ラーメンと言える。
馬刺し
馬肉食の習慣のある地域は古来より馬の名産地であり、馬の生産と直結した文化が根付いていたと考えられる。
文禄・慶長の役当時、補給線を断たれ食料が底をついた加藤清正軍がやむを得ず軍馬を食したのに始まり、帰国後、清正が領地である肥後国(熊本県)に広めたという俗説がある。
今日では、馬刺しは熊本県の郷土料理として広く認知されている。
牛と異なり、馬の油の融点は低く、人肌でも十分溶ける為、霜降り肉でも刺身でおいしくいただけるという特徴があり、おろしショウガやおろしニンニク、刻みネギなどを薬味に醤油につけて食べるのが一般的。
また、馬刺しや炙った馬刺しをのせた寿司もおいしく、回転寿司などでもよく見かけるようになりました。
藤崎八旛宮秋季例大祭
諸行事は9月の第3月曜日(敬老の日)をその最終日とする5日間にわたって行われており、その最終日に行われる神幸行列が祭りのクライマックスとなる。
その中で観客の注目を集めるのは、神輿に付き従う「随兵(ずいびょう)」と「飾り馬(かざりうま)」の奉納行列である。
飾り馬は、近年は60団体以上が奉納し、「ドーカイ、ドーカイ」という威勢のよい勢子たちの掛け声と、ラッパなどの鳴り物でにぎやかに行進しながら、熊本市内を練り歩く。
祭りは5日間にわたって行われ、2006年度の日程では1日目に総代清祓、獅子飾卸と随兵三役清祓、大神楽、奉納神興飾卸が、2日目に奉納献茶祭、俳句献詠、3日目に献幣祭、奉納武道、奉納舞踊が、4日目に神馬飾卸、奉納神馬・飾馬飾卸、奉納挿花、宮遷式が、そして最後の5日目に、この祭りの最大の呼び物である神幸行列が行われ、神幸行列は「先駆(せんく)」と呼ばれる騎馬神職を先頭にして、午前6時に出発。その後につづく行列の大まかな順序は、三基の神輿に移された藤崎宮の三座の祭神、「随兵」行列、獅子舞、子供神輿に続いて最後に「飾り馬」奉納団体となっている。
飾り馬の奉納団体は、太鼓・ラッパなどの鳴り物でにぎやかに、それぞれ揃いの半纏に身を包み、扇子・花傘・ひしゃく・提灯・纏などを手にした勢子(せこ)たちが「ドーカイ、ドーカイ」の威勢のよい掛け声で踊り、
飾り馬をあやつりながら、熊本市内を練り歩いていく。

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